【アフガニスタンの現状】中学生でも分かるタリバン政権とは何か?

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こんなことを考えました

昨今のニュースでアフガニスタンにてタリバン組織が政権を握った、うんぬんかんぬんと言っているが、大半の人が

ん?うん…??タリバン??ふ~ん・・・

となっているだろう。

タリバン組織について、ぴよぴーよ速報をオマージュする形で解説していこうと思う

ぴよぴーよ速報 – YouTube

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始まりは冷戦時代のソ連によるアフガニスタン侵攻

このゴチャゴチャしたやりとりの始まりは今から約半世紀前

まだロシアの地にソビエト連邦があった頃

ソビエト連邦の国旗

当時、アメリカとソ連が世界の覇権をどちらが握るかのイザコザをしていた時、冷戦と言われる時代

海外企業との対立のイラスト

ソ連は言いました。

ソ連
ソ連

あ~ちょっと、アフガニスタン味方になってくれねーし、ボコしとくか

当時、ソ連はこれだけのドデカい面積があった為👇

ソビエト連邦 – Wikipedia

「ウチの家デカすぎて自分だけで敷地守れねーよ」的なノリで、隣の国に警備してもらう感じでやってました。

そんな中、ソ連のお隣であるところのアフガニスタンが言いました

アフガニスタン
アフガニスタン

マジ、ソ連嫌いだわ~、宗教禁止とか言ってくるし、イスラム教なめんなよ

そんな感じの理由で、ソ連は仲が悪くなっていたアフガニスタンの地に喧嘩(戦争)を仕掛けてきました。

戦争のイラスト

それを見ていたアメリカは言いました。

アメリカ
アメリカ

パキスタンから武器を送り込んで、ソ連を疲れさせるぞ!!

アメリカは、ソ連の侵攻を止めたい思惑があったんですが

ちょっと前に戦争で地獄にしてしまったベトナム戦争で敗北し

国民からも戦争反対の声が強く、直でアフガニスタンへの援助は非常にやりにくく、

そこでアメリカはアフガニスタンの隣であるパキスタン経由で武器を送り、アフガニスタンの後方支援的な感じでサポートしてました。

パキスタン経由で武器を送る構図 ※ソ連のエリアはかなり雑です

その後アメリカの目論見通りにソ連がアフガニスタン侵攻した結果、バカみたいな費用がかかり、ソ連崩壊を早める事となりました。

タリバンの誕生

ソ連のアフガニスタン侵攻が終わり、荒れ放題でアメリカからも放置されたアフガニスタンの地にはさまざまな民族が取り残され、このさまざまな民族がこう言いました

民族
民族

アフガニスタンは俺たちのモンだ!!

誰も居なくなったアフガニスタンの地に、俺たちのモノだと主張する民族たちがぐちゃぐちゃに戦争をおっぱじめました。

これがアフガニスタン紛争 (1989年-2001年)です。

それを隣で見ていたパキスタンが言いました。

パキスタン
パキスタン

ちょ、アフガニスタンがインドの味方になったらやべーな・・・イスラム系の国に作り変えるぞ!!

パキスタンはインドと超仲が悪く、アフガニスタンがインドの仲間になると挟み撃ちに合いそうだったので

それを阻止すべく、イスラム系の国にしようとアフガニスタンのイザコザ(紛争)に参加しました

パキスタン、アフガニスタン紛争へ介入

紛争に参加したパキスタンは言いました。

パキスタン
パキスタン

あの~難民の皆さん、イスラムの教えってスゲーんですよ!一緒に武力でイスラムの教えを広めませんか??

紛争状態になったアフガニスタンは難民キャンプがたくさんでき、そこには若者がたくさん居ました。👩🏿‍🤝‍👩🏿👩🏾‍🤝‍👩🏾👩🏿‍🤝‍🧑🏾👨🏿‍🤝‍👨🏿

中東の難民のイラスト

その中でパキスタンは、イスラムの教えをかなり捻じ曲げて過激派をつくるという流行りで、そうやって育てられた若者を

「タリバン」と言いいます。

タリバンとはアラブ語で「学生」と言う意味らしいです。

そんな感じの若気の至りで集まっちゃった団体タリバンは1つの勢力となり政権をつくるほどまで規模がデカくなり、

結果としてアフガニスタン紛争 (1989年-2001年)を抑えることが出来ました。

超重要人物・熱心なイスラム信者ビンラディン

話を少し戻して、 アフガニスタンがソ連と仲が悪くなって喧嘩(戦争)をおっぱじめた頃、ビンラディンが現れました。

Osama bin Laden portrait.jpg
ウサーマ・ビン・ラーディン – Wikipedia

ビンラディンは言いました。

ビンラディン
ビンラディン

ソ連からアフガニスタンを守るぞ!!

ビンラディンはサウジアラビアの御曹司(いいとこの坊ちゃん)で熱心なイスラム教徒でした。

お金持ちのお坊ちゃんのイラスト

ビンラディンはすでに2011年5月2日にアメリカ軍に殺害されていますが、タリバンはビンラディンが大きく関わっていて

ソ連がアフガニスタンへ侵攻する中で、😠「イスラム教の教えを守るために!!」とアフガニスタン勢力に加勢した人物としてビンラディンが居ました。

少年兵のイラスト

ソ連がアフガニスタンから撤退後、ビンラディンはサウジアラビアへ帰ると、

故郷であるサウジアラビアがアメリカとの関係を強める協定を結び、反対したビンラディンはサウジアラビアから追放され、

ビンラディンは😡「メッチャ、アメリカが気に食わんっ!!」的な事を思いながらサウジアラビアから追放されました。

アフリカのスーダンへ行きますが親分的なアメリカからの圧力がかかり、また追放されました。

すると、今度はアフガニスタンへ逃亡しました。

海外逃亡のイラスト(大陸)

テロを実行するビンラディン、報復するアメリカ

当時、タリバン政権が掌握していたアフガニスタンに匿ってもらい、

アメリカに復讐する為、飛行機をハイジャック✈️、世界貿易センターへ激突するという前代未聞の超大規模のテロを実行しました。

このテロを受けたアメリカはアフガニスタンに言いました。

アメリカ
アメリカ

テメ、何してくれんじゃ!!ビンラディンを匿うならボコしてやるわ!!

その後アメリカ軍から追われる形でビンラディンは逃亡、ビンラディンを匿ったとしてアメリカはアフガニスタンを空爆しました。

爆発のイラスト(地面・大)

その結果、タリバン政権がほぼ崩壊、ビンラディンはパキスタンで2011年5月2日に発見され殺害。しかし、タリバンはチリジリに分かれ中東各地に逃亡しました。

撤退したアメリカを見て武力で政権を乗っ取るタリバン

崩壊したアフガニスタンに新しく民主主義政権を立てようとアメリカがゴリゴリに支援をしたんですが

アメリカ
アメリカ

いや~・・・信じられねぇくらい国作んのに金かかるわー

アフガニスタン駐留に使った予算は約220兆円と鬼のように費用がかかりまくり、するとアメリカは言いました。

アメリカ
アメリカ

もう支援無理っすわ、撤退します。

アフガニスタンに駐在したアメリカ軍はバイデン政権にて正式に撤退を決め、いつの間にか力を付けていたタリバンがそのことを聞きつけ、タリバンは言いました。

タリバン
タリバン

今だっ!!アメリカが支援した現政権をボコすぞ!!

2021年にタリバンがこの政権をボコし、政権を掌握したという状況になりました。

というのが今日までのあらすじだ

こんな感じで半世紀近くにわたって今も続くゴタゴタが世界に影響を及ぼしているのが現状と言うワケです。

<strong>ワシ</strong>
ワシ

いや~しかし、キリスト教とイスラム教の仲直り瞬間は今後何十年も無さそうな雰囲気しかないのはチョット・・・平和は遠そうですな

ではまた❗😃👍

それと他にも「イスラム国の成り立ち」について解説した記事もあるので🙇‍♂️良かったらそっちも見てください👇

補足情報

ビンラディン年譜

Osama bin Laden portrait.jpg
ウサーマ・ビン・ラーディン – Wikipedia
ビンラディン活動の年譜

引用:ウサーマ・ビン・ラーディン – Wikipedia

アメリカ同時多発テロ事件

September 11 Photo Montage.jpg
アメリカ同時多発テロ事件 – Wikipedia

アメリカ同時多発テロ事件(アメリカどうじたはつテロ事件、略称:9/11)は、2001年9月11日(火)の朝、イスラーム過激派テロリスト集団アルカイダによって行われた、アメリカ合衆国に対する4回の協調テロ攻撃である。9・11テロ事件とも呼ばれる。

この攻撃によって2,977人が死亡、25,000人以上が負傷し、長期にわたる健康被害に加えて、少なくとも100億ドルのインフラ・財産の損害が発生した。消防士と法執行官の犠牲者はそれぞれ343人と72人で、アメリカ史上最悪のテロ事件となった。またこの事件を契機としてアフガニスタン紛争が勃発した。

アフガニスタン紛争

アフガニスタン紛争とは1978年以降、断続的に起こっている戦いを言う👇

1978〜1989年

詳細は「アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)」を参照1978年に発生したアフガニスタン人民民主党政府に対する武装蜂起、さらに1979年に発生したソビエト連邦アフガニスタン侵攻、政府軍・ソビエト連邦軍とそれに対するムジャーヒディーンの戦闘。

1989〜2001年

詳細は「アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)」を参照1989年のソ連軍撤退後のムジャーヒディーンや軍閥による内戦。その中でターリバーンが勢力を伸ばし1996年9月に首都カブールを占領、アフガニスタン・イスラム首長国を樹立した。

2001年〜

詳細は「アフガニスタン紛争 (2001年-)」を参照2001年に発生したアメリカ合衆国および有志連合諸国と北部同盟によるターリバーン政府打倒のための攻撃、そして北部同盟が樹立したアフガニスタン・イスラム共和国政府およびISAF(国際治安支援部隊)および有志連合諸国とターリバーンおよびヘクマティヤール派などの武装組織の抗争。ターリバーン勢力はパキスタン連邦直轄部族地域に浸透し、パキスタン国内でも戦闘を行っている(ワジリスタン紛争)。2014年12月末に有志連合および北大西洋条約機構(NATO)主導の対テロ戦争の不朽の自由作戦が終了し、自由の番人作戦へ移行した。

2021年5月よりアメリカ合衆国駐留軍が撤退を開始すると、ターリバーンはアフガニスタン・イスラム共和国政府の支配地域を次々と制圧し、8月15日に首都カブールを占領した。これによりアフガニスタン・イスラム共和国は事実上崩壊し、ターリバーン政権が再度樹立された(2021年ターリバーン攻勢)。

引用:アフガニスタン紛争 – Wikipedia

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